この記事の一部は機械翻訳を使ったよ
2023年4月、私は家計簿をつけ始めた。2025年4月、記帳をやめた。
最後の記録:¥0
始まり:節約とコントロールのために
きっかけはシンプルでした——支出を抑え、金銭感覚を高めること。最初は確かに効果的で、無駄遣いを抑えることができました。
過程:最適解とカード収集の世界へ
しかし次第に、「より良い」消費を求めて比較を始め、最適解を探すようになりました。最初は商品の比較だけでしたが、やがて支払い方法やツール、そして銀行の特典やカード開設の世界へと進みました。
特典のためにカードを作り、便利さのためにカードを作り、気づけばカード収集の世界にどっぷりと浸かっていました。
最初は節約のため、次に便利さのため、そして最後にはカードを集めるため。
反作用:記帳が負担に
こうして、記帳そのものが次第に負担となっていきました。アカウントが増え、シチュエーションが複雑になるにつれ、記帳にかかる時間や精神的なコストは実際の利益を上回るようになりました。
数百円の特典のために何時間も調べることもありました。最初は楽しかったものの、何度も繰り返すうちに、最適解を見つけても興奮しなくなり、最初の喜びは空虚感に変わっていきました。
変化:最適解から心地よさへ
もしかすると、私自身が変わったのかもしれません。消費に対する考え方も変わりました。
「必要に応じてお得に」から「まあまあでいい、自分が心地よければいい」へ。
また、設定した予算をすでに超えていることにも気づきましたが、それでもコントロールを失うことはありませんでした。むしろ、節約よりも時間と気持ちの方が大切だと、ますます理解するようになりました。
反省:なぜ記帳していたのか?
記帳のために、私は以下のようなことを始めました:
- アカウントが多いため、何度も探し回る
- 通貨の変換のために、記帳アプリで新しいアカウントを頻繁に作成
- 商品を買うべきかどうかで長時間悩む
- 友人と遊びに行った際の支出で気分が台無しになる
私は考えざるを得ませんでした——私はなぜ記帳していたのか?
その中で得られる利益は、本当に価値があるのか?
決断:手放し、リセット、再出発
そこで私は、細かいことを気にせず、「私は幸せか?」と自問することにしました。
結果は——本当に幸せでした。そして、支出も思ったほど多くはありませんでした。
おそらく、習慣が私を自然に価格比較へと導いていたのでしょう。あるいは、感情の価値は、そもそも特典で測れるものではないのかもしれません。
だから、手放す時が来たのだと思います。
記帳は、その使命を果たしました。
もはやツールではなく、束縛となっていました。
行動習慣は、より良い生活のためのもの。
それが情熱で解消できず、生活の妨げとなるなら、別れを学ぶべきです。
終わりに:自分に感謝し、生活を続ける
2年間続けてきた習慣を手放すのは、確かに寂しいものです。
でも、それも人生の一部なのでしょう。一生を共にできるものはありませんが、一緒に過ごした時間が美しいものであれば、それで十分です。
「私は節約上手」という象徴的なツールが一つ減ったとも言えます。
しかし、これからの自分は、数字や記録に頼って安心感を得るのではなく、真の余裕と自由さで生きていきたいと思います。
コントロールできる状態から、未知への流れへ。
早く適応できることを願っています。
節約した時間を、より意味のある、より幸せなことに使えるように。
だから、
最後の一筆、¥0
短い文章を添えて。 この2年間、真剣に記録してきた自分にありがとう。 これからは、節約した時間をもっと価値のある、もっと楽しいことに使えますように。
このように、この体験をアーカイブしました。
レコーディングは終わり、人生は始まったばかり