从歌曲学日语 - 《僕が死のうと思ったのは》

引言

有没有一种听力材料,可以让人不是处于学习的状态,可以反复听,并可以尝试影子跟读的呢。这不就是歌曲吗!

考虑到我听歌时候只是部分能听懂,如果深入分析了解歌词的话,说不定真的可以当成对语言的练习了

第一首就从一个虽然有点沉重,但可以说陪伴了我大部分时间,我可以百听不厌的歌曲开始吧

歌曲视频

歌词

僕が死のうと思ったのは ウミネコが桟橋で鳴いたから
桟橋: さんばし

我之所以想过一了百了,是因为黑尾鸥在码头啼鸣

波の随意に浮かんで消える 過去も啄ばんで飛んでいけ
啄ばむ: ついばむ

随波浮沉又消逝,连过去也一并啄起飞向远方

僕が死のうと思ったのは 誕生日に杏の花が咲いたから
杏: あんず

我之所以想过一了百了,是因为生日时杏花开了

その木漏れ日でうたた寝したら 虫の死骸と土になれるかな
木漏れ日: こもれび 死骸: しがい 土: つち

在那洒落的日影下小憩,是否能化作虫的遗骸与黄土呢

薄荷飴 漁港の灯台 錆びたアーチ橋 捨てた自転車
薄荷: はっか 漁港: ぎょこう 灯台: とうだい 錆びる: さびる

薄荷糖、渔港的灯塔、生锈的拱桥、被抛弃的自行车

木造の駅のストーブの前で どこにも旅立てない心
旅立つ: たびだつ

木造车站炉火前,踏不出旅途的心

今日はまるで昨日みたいだ 明日を変えるなら今日を変えなきゃ

今天就好像昨天一样,想改变明天的话要从今天开始

分かってる 分かってる けれど

我知道啊,我明白啊,可是。。。

僕が死のうと思ったのは 心が空っぽになったから

我之所以想过一了百了,是因为内心已经空寂了

満たされないと泣いているのは きっと満たされたいと願うから

因空虚而哭泣,无非是渴望被填满


僕が死のうと思ったのは 靴紐が解けたから
靴紐: くつひも 解ける: ほどける

我之所以想过一了百了,是因为鞋带松开了

結びなおすのは苦手なんだよ 人との繋がりもまた然り
然り: しかり

重新系上很麻烦,人际关系也同样如此

僕が死のうと思ったのは 少年が僕を見つめていたから

我之所以想过一了百了,是因为少年注视着我

ベッドの上で土下座してるよ あの日の僕にごめんなさいと

在床上向我土下座,对那天的自己说抱歉

パソコンの薄明かり 上階の部屋の生活音
薄上がり: うすあがり

电脑屏幕的微光,上层房间的生活声

インターフォンのチャイムの音 耳を塞ぐ鳥かごの少年
鳥かご: とりかご

门铃的声音,捂住耳朵的笼中少年

見えない敵と戦ってる 六畳一間のドンキホーテ
一間: ひとま

在六畳房间的堂吉诃德,与无形之敌在战斗着

ゴールはどうせ醜いものさ
醜い: みにくい

终点反正是丑陋的

僕が死のうと思ったのは 冷たい人と言われたから

我之所以想过一了百了,是因为被人说成冷漠无情

愛されたいと泣いているのは 人の温もりを知ってしまったから
温もり: ぬくもり

因渴望被爱而哭泣着,是因为已尝过人间冷暖


僕が死のうと思ったのは あなたが奇麗に笑うから

我之所以想过一了百了,是因为你的笑容如此温暖

死ぬことばかり考えてしまうのは きっと生きる事に真面目すぎるから

总想着死亡,一定是活得太较真了吧

僕が死のうと思ったのは まだあなたに出会ってなかったから

我之所以想过一了百了,是因为未曾遇见你

あなたのような人が生まれた 世界を少し好きになったよ

正因为有你这样的人会诞生,才会有点喜欢这个世界

あなたのような人が生きてる 世界に少し期待するよ

正因为有你这样得人存在着,才会对世界有些许期待

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